沖縄に家を置いたまま、京都へ短期移住し、2年前に帰ってきました。
移住先の京都で見舞われたコロナ禍で知ったことは「私は私の住む場所のことを何も知らない」
だから与那原の歴史、文化、未来、この地の人々が織りなす物語を探求したいと思いました。

展示会のチラシを配りながら「泡瀬にも行ったんだね」とか「サステナブルだね」という声を聞きました。
サステナブルな活動と伝統の継承は、どこか似ているのかもしれません。久米島では綱の担い手が減ってしまい、与那原町が綱を渡すことが2013年から続いています。それ以降3年に1度の久米島大綱曳ですが、コロナの影響で今年4年ぶりの開催になりました。

夏の天気に見守られて久米島大綱曳はとても盛り上がりを見せました。
法螺貝と爆竹が鳴り響くガーエー、ハーイヤの掛け声、西軍の勝利。目の前の兼城港から上がる花火は、晴天の夜空に大きくあがり、カメラの画角にも入りきらないほどでした。
花火が終わったあと、真っ暗な漁港で天の川の撮影を試み、肉眼でもくっきりと見える天の川をカメラに何枚もおさめました。

泡瀬大綱引きは5年に一度行われます。
与那原大綱曳や久米島大綱曳とは違うハルヨイの掛け声が鳴り響き、開会式では与那原と久米島に御礼を伝えていました。そして綱引きが始まる前に、東と西がスクラムを組む姿、私にはこの光景が忘れられませんでした。

お祭りの雰囲気が大好きな私は、3カ所ともしっかり綱を引きました。
東も西も関係なくて、与那原の地域の人たちが編み上げた綱を、皆一生懸命に引く姿や、一致団結して引くことを体感して、どの会場でも視界が滲んでしまいました。

だから肝心な綱引きの写真はほとんど撮れなかったし、構図もピントも合わないお世辞にも良い写真とは言えません。
でも、その土地がもつ祭りの雰囲気を、一瞬一瞬を縄を綯うかのように織り上げていった写真たちです。綱引きの空気を思い出したり、感じ取ったりして楽しんでもらえると幸いです。

与那原で綱引きの写真を展示したい、それも今年度中にやりたいという私の我儘を優しく聞いてくださったKimamaさん、本当にありがとうございます。
かなち棒が眠るこの場所で展示できたこと、本当に嬉しく思います。
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